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九州の数々の大規模な民事訴訟において、闘い続けること50年超。馬奈木昭雄にとって“原点”となった水俣病をはじめ、炭鉱のじん肺、産廃処分場、有明海異変、原発などといった多様な社会問題に取り組み、数多くの公害裁判で画期的な判決を引き出してきた。加害企業やその背後にいる国を相手に、決して屈することなく「勝つまで闘い続ける」生きざまは、弁護士のみならず多くの法曹関係者に影響を与えている。

そして、馬奈木の弁護活動は被害者個人の救済にとどまらない。見据えているのは、社会環境が破壊された地域の復興・再生だ。馬奈木の弁護士人生を綴った書籍『たたかい続けるということ』の最後には、次のような印象的な一文がある。「弁護士の仕事は過去に起きた物事の清算ではない。未来への取り組みです」――ここに、馬奈木の信念が集約されているように思う。

生まれは台湾ですが、過ごしたのは3歳までなので、さすがに記憶がありません。終戦で引き揚げてきた後は、営林署(現森林管理署)に勤めた親父の仕事の関係で福岡県内を転々とし、一番長かったのは、小学3年から高校1年まで過ごした宗像市の赤間ですかね。だから、私にはここが故郷と呼べる地がないんですよ。

今でこそ“鉄の神経”なんて言われる私ですが、子供の頃は人付き合いが嫌いで、ずっと本ばかり読んでいました。中学時代に十二指腸潰瘍で入院したこともあったから、けっこう神経質だったのでしょう。それが顕著に現れたのは、高校を転校した時。進学したのは宗像高校でしたが、過ごしたのは1学期だけ、親父の転勤に伴って福岡高校に転校したんです。田舎から突然の“大都会”……あまりの格差に愕然としました。授業にしても体育祭にしても、文化が違いすぎて大ショックを受けた。それで学校に行きたくないと、引きこもり状態になっちゃった。来る日も来る日もやっていたのは、得意な紙飛行機づくりです。それでも両親は、「学校に行け」とはいっさい言わず、黙って見守ってくれていました。それがよかった。もしうるさく言われていたら、事態は違っていたでしょうね。

十二指腸潰瘍を再発したこともあり、最後は自分で「このままじゃいかん」と吹っ切れたんです。一念発起、部屋中にあった紙飛行機は全部燃やして、それまでの生活とは決別。翌春から高校1年生をやり直しました。カルチャーショックだったと割り切れば、何てことはない。本来、私は好奇心旺盛ですし、少しはまともな人付き合いができるようになりました(笑)。